LA LA LAND



エマストーンであります。

怒られることを承知で断言しますが、決して美人ではないです。顔面を構成する一つ一つの部品のサイズが大きすぎて、アメリカを代表するハリウッド女優としては、美貌と呼ぶには納まりが悪すぎます。がしかし、しかしであります。豊かすぎる表情の七変化が殺人的な愛嬌へと昇華され全世界の男子陣営に襲いかかってきます。決して我がまちを代表する美人ではなくても自分の彼女の顔が段々と可愛く見えてくるように、全世界の男子陣営が銀幕を通じてエマストーンの表情に触れる度に、心惹かれ、疑似恋愛的な罠にはまるのでしょう。当然、僕もその1人でありまして、しばらくエマストーンという泥沼から抜け出すことができなさそうです。この映画を見てしまったことは不運としか言いようがない。

で、映画自体は控えめに表現しても、大傑作エンターテイメント作品でした。
別に僕だけじゃなくて、皆があらゆる形容詞や修辞技法を駆使してこの作品を絶賛されていると思いますが。とにかく観ている側がシンクロできる共感ポイントが多すぎるので、ミスチルやサザンの曲を聞いているかのような圧倒的な普遍性があります。

人生の捉え方のパターンを大きく2つに分けて、「生きているだけで丸儲け」的な考え方と、「自分の理想に辿り着くまでの道程」的な考え方をしている人がいるとしたら、後者のタイプの人はより深くダメージを受けることになる映画だと思います。

「あっ、これ、俺のこと(私のこと)言われているな」と多くの人が思ったに違いありません。僕は刺さりすぎました。。

ライアンゴズリングにとってのジャズやエマストーンにとっての演劇は、そのままあらゆるジャンルに置き換えられますよね。デザイン、建築、ビジネス、料理、カメラマン、スポーツ、研究、・・・。そしてライアンゴズリングが途中で理想をあきらめ、ジョンレレジェンド率いるジャズの要素を若干取り入れた大衆系打ち込み系バンドに入るシーン(監督の悪意を感じられるほどコテコテに描いていますが)やエマストーンが途中で理想を追究するあまり、演出兼主演で一人芝居に挑戦するシーンも、理想を追うタイプの人間(愚かな夢追い人)が内包している葛藤を直球で代弁しています。現実に迎合する自分も本望ではないけど、儚い理想を追い続ける「イタい人」にもなりたくない。

そういう意味では、エマストーンが一人芝居へと転向していくさまは観るに絶えないほどイタい感じでした。不確かすぎる自分の才能を妄信し、多額の劇場利用代を工面し、文芸性の高すぎる1人芝居というフォーマットを選び、孤独に稽古し、一人で盛り上がり、蓋を空けてみたら10人ちょっとしかお客さんが入らず、仕舞いには演技も酷評される始末。

徹底的に勘違いなイタい人として描いていますが、この映画が放つメッセージの肝はここにあると勝手に思っています。

惰性でオーディションを受け続けるのではなくて、心の声に従い「勇気」を持って自分の理想に立ち向かう。結果的にエマストーンは打ち砕かれましたが、あの「勇気」の前と後では彼女から見えている景色は変わったはずです。事実、映画的には、その後のオーディションでの迷いや恐れが取り除かれた吹っ切れた素のパフォーマンス(このシーンで主演女優賞が確定しました。)がブレイクスルーへと導きます。物語の進行の都合上、彼女は成功しましたが、別に女優としては成功していなくても、次の人生へと迷うことなく舵を切れたような気がします。

理想が叶うか叶わないかは大して重要ではなくて、大小問わず、世界中に溢れている痛みの伴う「勇気」の美しさを信じ、それを応援したいという監督の心意気を感じましたね。

ただし「勇気」の先に発生するであろう犠牲も忘れずにラストシーンを構成してくるので、「セッション」と同じような煮え切らない読後感となり、後味は決してよくないです。むしろ苦しいです。

なんか、いろいろすごい映画です。
































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