ゴードン・マッタ=クラーク

 
"風穴を開ける”

僕らが、閉塞した状況や既成概念を打破することを表現する際に、比喩として重宝している言い回しを、文字通り、生きた都市空間の中で物理的に実行してしまう大胆不敵なアーティストの展示会に行ってきました。

「ビルディングカット」?という手法らしく、街中の建物に、チェーンソーを駆使して、穴や切れ込みを入れて、その行為と記録を含めて、自らの作品として発表してしまうのですから、アート初級者の自分には刺激が強すぎます。

彼が穴を開けたものは、美術館を皮切りに、大規模な住宅供給計画により廃墟となった郊外の民家、かつて交易の拠点としてアメリカの繁栄を支えたものの、時代の変化に伴い過去の遺物として人々の記憶から忘れ去られた“港湾”沿いに佇む空き倉庫、などなど、その対象は多岐に亘ります。穴を開ける以外にも、ドローイングや写真や映像など、作品のフォーマットは実に多様です。

しまいには、アーティスト仲間を集めて、アーティストが自ら食材の仕入と調理と給仕係を担当するレストランまで運営してしまうのですから、その表現の奇怪さは、凡人が理解できるアートの領域を余裕ではみ出していきます。

一つ一つの作品が発する情報量が膨大で、とても一度の観覧では消化できるわけがないのですが、最後まで辛抱して作品と対峙し続けると、じわじわと、彼の表現活動が放つメッセージの輪郭がうっすらとうっすらと掴めてきます。

既存の社会システムや時代の主流とされる価値軸を常に疑い、そこからこぼれ落ちた価値に目を向けること。そして、その対象に穴を開けることで、新たな光が差し込み、空間内部のあり様が以前とは違った姿に変容すること。

「ビルディングカット」は2重の意味で、物事に対してオルタナティブな視点を持つことの大切さを世に喚起します。リアルなレストランを運営し、アーティストと街がコミュニケートする接点を作ったことも「ビルディングカット」の延長線上にある行為と読み取れました。

“誰にとっても風通しのよい街を”

建築畑出身の彼が、手を変え品を変えながらも都市空間でのアウトプットに固執してきた理由。表現活動をドライブさせ続けてきた問題意識はそのあたりに漂っている気がします。

そんな理想を実現するために、街に多面的な視点を常に担保してくれるアーティストという存在の価値を強く信じていて、であるがゆえに、アートがいつのまにやら「美術館」という、特権階級の非日常的な文脈の占有物に成り下がってしまった状況に危機感を抱いていたのでしょう。そう考えると、美術館に“風穴を開ける”というアクションから彼のアート活動が始まったことにも合点がいきます。

会場構成もユニークで素晴らしい展示会ではありました。

が、帰りの地下鉄の中で、モヤモヤしたものが脳内を延々と巡るんですよね。
結局、自分は既存のシステムにがっつり組み込まれた(都内でも権威ある方の)美術館に出向いたから、ゴードン・マッタ=クラークという未知なるアーティストと出会ったわけであって。

彼が生きていた時代から、アートと街(社会)の距離は少しでも縮まったのかなと。
アートは一定の層だけが内輪で愛でる対象物ではなく、誰もが身近に感じることができる共有物として街に溶け込んでいるのかなと。街の風通しはよくなっているのかなと、不安になるわけです。

すべてのメニューが用意されているはずの東京ですが、アートと街のカジュアルな文脈での接点作りは、まだ手付かずの領域の一つだと確信しました。

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