アーセン・ベンゲル
毎晩悩み、うなされ、睡眠不足が続いています。食事ものどが通らず、誰にも悩みを打ち明けられず。答えが出せず息がつまりそうな毎日です。
「ベンゲル監督にアーセナルを去って欲しいのか、続投して欲しいのか」
巨人バイエルンに毎回フルボッコにされ、ライバルのチェルシーに嘲笑されて。
何度も何度も別れを切り出すべきだと理屈では分かっていても、もう1人の自分が心の奥底から囁いてきます。
「本当にベンゲルのアーセナルを終わりにしていいの?本当に?」
骨の髄までアーセナルファンを自負していますが、実はいうとプレミアリーグを見始めた当初(中学生ぐらい?)は圧倒的にマンUファンでした。ベッカム、スコルズ、ギグス等が主軸だったトレブル達成の頃ですね。ご多分に漏れずベッカムの華のあるアーリークロスに魅了された1人です。アンリやビエラを擁して無敗優勝を果たしたアーセナル黄金期も特にファンということでもなかったです。
そんな自分がアーセナルに心を鷲掴みにされ、ガナーズへと転向することになったきっかけは、2007-2008シーズンCL決勝トーナメント1回戦のACミラン戦です。今でも忘れることができません。
アンリやビエラら主力が次々とチームを去り、若手中心へと思い切った世代交代の舵を切り始めていたアーセナルが、当時欧州の絶対王者だったミランに挑んだ一戦。ネスタやガットゥーゾら屈強な肉体で構築される百戦錬磨のミラン守備陣を、平均年齢20代前半ぐらいかな、セスクやファンペルシやフラミニなど、まだ頬が赤らんだ華奢な青年たちが細かいパスを駆使して攻略していく光景は圧巻でした。スター選手などいなくても、かくも美しく繊細で力強いサッカーがこの世の中に存在するという現実に激しく動揺し、フットボールが隠し持っていた神秘を前に我を忘れてTVにかぶりついていました。アウェイのサンシーロスタジアムでセスクのミドルシュートが決まった際は文字通り昇天したことを今でも鮮明に覚えています。
あの試合を機に僕とアーセナルの勝手な蜜月がはじまりました。
それから、2017年2月現在まで、ずっとアーセナル中毒です。
すなわち、アーセン・ベンゲル監督の虜です。
ベンゲルの哲学は知性と美しさを至上の価値としたフットボール。それはここ10シーズンで一度もブレていないと思います。頑固なまでに。
動物的なアクションや個人技による単独突破、フィジカルに頼ったプレイは基本的にNG。
だから周囲があれだけ指摘してもセンターFWは補強しないし、スペースを消した相手に強烈なミドルシュートを叩き込むことも好きではないです。なぜなら美しい行為ではないから。(野人系のサンチェス選手に対しては本当は複雑な思いを抱いているはずです)相手チームを必要以上に研究したリアクションサッカーもしません。美しい行為ではないから。ライバルの金満クラブが法外な移籍金を積んで次々にビッグネームを獲得しても、ベンゲルは自前で育てた若手を重宝します。品のある行為ではないから。
短期納品型のモウリーニョとのコントラストが凄まじいですね。
実現したいフットボールのコンセプトとそこからブレイクダウンした選手構成と育成方針。スタジアムのデザインから集まるファンの人間性まで含めて。どこを切り取っても、チームを取り巻く全ての要素にベンゲルイズムが染み渡っていて、それが強烈なアーセナルらしさとして、ファンを熱狂させる引力になっています。
知性と美しさを大切にするあまり、格下相手に取りこぼしたり、強豪相手に正面から挑み無惨に散ったりすることは日常茶飯事です。スキがありすぎるのです。ただ、その結果、その無垢さが愛嬌となりアーセナルへの愛おしさが日々増すばかりなのです。
信仰=ブランドとはこうして生まれるのだなと、深く感心します。
だからベンゲルを代えるということは、監督交代という局所的な事案ではなくて、アーセナルという事業全体を代えるか引き継ぐかという壮大な経営判断なんですよね。
僕はいまのアーセナルらしさが心底好きなので、ベンゲルが築き上げてきたプロジェクトを引き継げる相当な人格者でない限り、やはり監督交代には反対です。
そんな人材どこにいるのかって話です。
アレッグリとかグアルディオラだったらいいですけどね〜。
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