高校サッカー決勝
新年の恒例行事として高校サッカー決勝戦の観戦を続けています。
もう5年〜6年は続けているのかな。トーナメント形式による1発勝負、そして各選手にとって高校時代の集大成であることで、毎年様々なロマンが隠されていて、勝負に重みがあります。プロサッカーとは一味違ったエンターテイメントとして実に魅力的なコンテンツだと思います。
で、今年の決勝のカードは、流通経大付属と前橋育英。
例年以上に戦術的レベルの高い試合内容に驚きました。
中盤から丁寧にボールを繋いでギャップを突く高い技術力が印象的な両チームでしたが、決勝では互いに守備ラインを高めに設定し、中盤のプレーエリアを消し合う作戦を採用。前半はほぼボールの刈り取り合い。派手さには欠けるものの高校サッカー特有のルーズな間合いが一切存在しないソリッドな内容は見応え十分でした。
後半からは、デュエルでやや優勢であった前橋育英が、流経のプレスが緩む頃合いを見計らって、ピッチの横幅を目一杯活用しながら猛攻を仕掛けます。流経DF陣も絶えに絶えましたが、最後の最後で力尽きましたね。途中交代で入った前橋育英の13番宮崎君が利いてました。サイドの深い位置に流れてボールを収めることで、流経DF陣の距離感が広がり、味方が相手の危険エリアに侵入するスペースを創出していました。流経は攻撃の形を司る10番の菊池君が、相手のプレスを嫌がり、低い位置でしかプレーさせてもらえないことが苦しかった。
とにかく欧州サッカー最前線でもデフォルト化しているハイプレス戦術を、日本の高校サッカー界もキャッチアップしていたことが印象的でした。国見的な放り込みや数人の個人技頼りのガラパゴス的なスタイルではなく、サッカー界全体の潮流に沿った組織的な戦いがこの年代の決勝戦で繰り広げられたことは、日本サッカーの未来にとって非常に明るいニュースだと思います。
とはいえ、ハリル的なデュエル志向が浸透しつつある反面、そこに技術や個性を上乗せできる選手が少ないことには、やや危機感を覚えました。日本サッカー全体にも言えることでしょうが。
昨今のサッカー界は戦術的進化が目まぐるしく「いいサッカー選手」の定義が、加速度的に更新されていると思います。特に中盤の選手。かつてはスルーパスやターン、ドリブル技術が高いことが中盤選手の優位性でしたが、現代サッカーではそれは大前提として、運動量や球際の激しさ、キック力など、プレーの強度も兼ね備えた選手でないと中盤の役割を担えなくなっています。
万能すぎて、あまりに恐ろしい条件ですが、世界を見渡せば、モドリッチやトニクロース、ブスケツ、シャビアロンソ、シルバ、デブライネなど、難なくその条件をクリアする超人が実存しています。「ピルロとガットゥーゾ」のように中盤の仕事を役割分担するという考えはもはや牧歌的すぎるんです。
グアルディオラ大先生やモウリーニョ提督が世に出現したせいで、異常現象のようにサッカー全体のレベルが向上し、その世界で最適化された人類がポツポツと現れているのです。日本には当然、まだそのような選手がいません。(近いのは井出口選手ぐらいでしょうか)
デュエルと個。
本来は相反する2つの要素を兼ね備えた選手を日本サッカー界はどう育てて行くのか。
サッカー関係者だけでなく、ファンやお茶の間を巻き込んだ国全体での早急の議論が必要とされていますね。
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