レディバード


「愛情を注ぐものほど、注意を払っている。細かく見えるもの」

主人公が散々っぱら、くそ田舎の地元の風景や鬱陶しい母親をディスったあとに、聞き役の修道女の口から出た言葉。この映画一番のパンチラインが炸裂してから、僕の涙腺は徐々に瓦解していきました。

青春映画と呼ばれるジャンルがあるとするならば、
それを構成する要素を“全部乗せ”したような、青春映画の"幕の内弁当"的な映画です。
それでも脂っこくなく最後まで美味しく頂けるのは、グレタガーウィグのセンスのなせる業でしょう。

主人公は、アメリカの片田舎サクラメント在住で高校卒業を控えた17歳の少女。

口うるさい母親との衝突というか、激しいぶつかり稽古を縦軸に、親友との軋轢や恋愛でのほろ苦い失敗、学校という権威への反発、地元への嫌悪、膨れ上がるばかりの夢、などなど思春期特有のイシューが満載に挟み込まれながら展開してきます。他者との比較、コンプレックスが引き金となり、自分ではない自分になろうと必死にもがく主人公の姿(仕舞いには自分のことを"レディーバード"という芸名で名乗る。マジで恥ずかしすぎる。。)が、痛々しくも瑞々しく描かれていきます。


大人になる。

自分を受け入れ、他者への想像力を獲得すること。

だとすれば、生まれた街→育った家庭→友達づきあい→学校生活→恋愛と、自分を取り巻く社会が拡張し、他者との摩擦が一気に増える10代後半は、当然ですが「大人」に近づく、またとないタイミングなんだと思います。とはいえ、勘違いしてはいけないのが、黙って待って生きていれば、誰もが皆、その時期に順番に「大人」になれるわけではないということ。

自分をさらけ出し、内側と外の世界の落差に、苦しみ、もがき、呪い、悩んだ、その領分に応じて成長できるのだと思います。

そういう意味で、果敢に外部へ飛び込み、勝手に傷つき、不器用ながらも他者と全力でぶつかり、何かを掴もうとする、主人公の“生”への必死さに、僕は胸を打たれ、大きな拍手を送れずにはいられなかったですね。

そして大人になることで、慣れ親しんでいるはずの景色が、また違った表情を持った景色として見えてくる。同じ世界が、また違う世界として立ち現れてくる。最後の運転のシーンは抱きしめたくなるほど好きです。

誰もが大なり小なり経験したことのある過渡期の揺らぎ。
普遍的なテーマの直球ど真ん中の映画。

2018年度ベスト5には必ず入れたい良作でした。

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