ベルリン・都市・未来
最近は、渋谷駅周辺を歩く度にげんなりしてしまいます。
みんなの空が電鉄会社の空に染まっていく嫌ーな感じ。
ヒカリエですら、その巨大ビルから発信される膨大な情報量を未だに消化できていないのに、キャスト?やらなんやら然り、もうこちらの感性が追いつかない。
これから次々と建設予定の巨大商業施設ビル群は、いったい誰のために作られるのか。
誰を幸せにするのか。街の人は本当に楽しみに完成を待ち望んでいるのか。ヒカリエだけでも十分でしょ?。疑念は膨らむばかりです。
プロジェクト進行上の儀式として、各商業施設がそれぞれ固有のコンセプトらしきものを打ち出し、棲み分けに躍起になっていますが、広場にはマルシェ、1Fには、オシャレなサードウェーブ系カフェや有名セレクトショップのライフスタイル新業態、上階にはシェアオフィス兼インキュベーション施設と相場は決まっていて、その内実は予定調和な「よくあるそれ」でしょう。日比谷に最近できたあれと銀座にできたあれと六本木のあれと何が違うのか。
「クリエイティブシティ!」を標榜する割には、まったくクリエイティブでない。
一つの巨大民間企業が独占的に一つの街の街づくりをオーガナイズする手法自体が、必然的に街の魅力を削ぐことに何故自覚的でないのか。多様性と偶発性が楽しい街の必要条件であることを、他国の先進都市への視察や有識者を招いた勉強会で散々学んでいるはずなのに。先に巨大なハコだけ作って、間に合わせのコンセプトをお仕着せて、おなじみのテナントを押し入れて。「はい、ここで化学反応を起こして下さい!」って言われても。
クリエイティブシティと謳うならば、もっと草の根でサバイブしている、個人商店や小さな組織、作家やクリエイター、スタートアップを独自の視点で掘り出して、彼らを支援するとか、ストリート視点から街全体の付加価値を高める方向にシフトすればいいのになーと。
そんなタイミングで出会ったからか、武邑先生によるベルリンのボトムアップ型の街づくりの実例をまとめた本書を、胸のすく思いで読み進めました。
住民が自らの意志で、自分の住みたい街を形作り、自分が手にしたい暮らしを獲得していく過程が具さに描かれていて、東京で生きている自分にはもはやおとぎの国の話のように思える程です。
当然ベルリンという極めて固有の歴史を持つ街であるがゆえの、固有な街づくりの軌跡であることは間違いないので、その方法論を無邪気に東京に当てはめる行為はナンセンスですが、我がまちへの批判精神やフレッシュな問題意識を保ち続けるためのヒントが凝縮されているような本でした。
やはり日本だと、行政やディベロッパーに街づくりを委ねすぎているのでしょうか。自分も含めて住民側にも街づくりへの「意志」や「リテラシー」が足りていないのも事実でしょう。自分の住んでいる街に関心がない。「最寄り駅」という意味以上の何かを自分が暮らす街に対して、持ち合わせていないことがほとんどではないでしょうか。
自分が心地よく楽しく暮らすための街を、誰かに期待せず、貪欲に自ら手に入れにいく姿勢。人生に対するDIY精神。我々がベルリナーから学ぶべき点は、その辺りにある気がします。
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