ビフォア・ミッドナイト
過剰な演出や極端な展開に頼らず、リアルに即して男女の機微を丁寧に描く、恋愛映画の金字塔「ビフォア・サンライズ」シリーズ。
「サンライズ」と「センセット」が甘酸っぱく切なすぎたゆえに。2作目のジュリーデルピーの美しさと繊細さが眩しすぎたゆえに。中年夫婦設定の3作目は敬遠していたのですが、同シリーズの熱烈なファンが集い、夜な夜な語り合う会とやらに参加する運びとなり、予習のためにこっそり鑑賞してみました。
これがまあ、予想を裏切る、とてもよい映画なんですよね。。
出会いや再会が放つ、キラキラやドキドキは皆無ですが、“本物”が腰を据えて描かれているんですよ。ラスト、2人が子供を預けてホテルの部屋に入ってから、海辺のカフェで仲を取り直すまでの一連のくだりは圧巻。映画を越えて観るものに突き刺さる、後世に語り継がれるべき名シーンでした。
「完璧ではないが、本物の気持ちがここにある。無条件に君を受け入れる」
感情的にうらみつらみを募らせ意固地になるジュリーデルピーに対する(男性的見方であることを重々承知であります)、イーサンホークの最後通告。こんな言葉を咄嗟に投げかけられる男っているのか?いるかなー。ずるいよなー。
降参です。作品の持つ滋味深さとセリフの豊かさは、前2作を超える出来映えであることは間違いないです。これは確かに誰かと語り合いたい。
シリーズが通底して描こうとしているテーマは、個人的には、恋愛、というより「会話」という行為の美しさや尊さだと思っています。「会話」ってなんて素晴らしい営みであるのだろうと感心します。
初めて会う人と、ワンフレーズ、ワンフレーズ、言葉を交換しながら、だましだまし互いの内面に分け入りながら、本来ゼロであったはずの関係性が実体をもって築かれていく恍惚感。
ぼんやりと浮遊している断片的な気持ちや考えが、相手とワンフレーズ、ワンフレーズ、言葉を交換する中で、像を結びはじめたり、思いも寄らぬ視点に発展する興奮。
相手が投げかける言葉に、どんな言葉を投げ返すのか。最終的にどこに到達するのか本人たちも分からない、その2人だけでしか繰り広げられない1回性の実演。冒険のような、インスタレーション作品のような性質が本来「会話」にはあるはずです。
このシリーズはそんな「会話」の魅力を、ロマンスの形を借りて、余すところなく描いてくれてます。2人の気持ちの糸を絡め合うのも「会話」。2人のこんがらがった糸を解きほぐすのも「会話」。
よい「会話」が、よい生涯を作る。
折りをみては、何度も見直したい作品でした。
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