ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・アディオス
なんと、その続編がやっているというので、日比谷シャンテまで飛んでいきました。
“続編”という響きに漂う蛇足感を前に、若干いじわるに身構えておりましたが、蓋を開けてみれば意想外の傑作で、感想を述べずにはおられません。
ポケットに詰め込めないほどの名言が、それぞれのミュージシャンの人生譚から絞り出され、どの切り口から回想しても感動が蘇ってきます。中でも、鑑賞後に何度も脳内でリフレインされるのが、バンドの紅一点の名花オマーラが中盤にインタビューで吐露した一言です。
「(黒人の)命は奪えても、音楽は奪えない」。
スペインによる植民地支配、黒人奴隷制度の導入、アメリカによる保護支配、キューバ革命による社会主義化、冷戦という名の代理戦争への巻き添え。などなど。どうしたって痛みと悲しみを伴う歴史に翻弄され続けてきたキューバの市井の人々にとって、音楽とは唯一の希望の依り代であったことが、切実に伝わってきます。
貧しい黒人家庭で育ったオマーラが、4歳の時に狭い家のリビングで父親から教わった歌を80歳を越えてもなおも歌い続けるのはなぜか。
音楽に自分の居場所を見つけた原体験として、その風景が強烈に記憶に焼き付いてるからであろうし、贅沢な暮らしは叶わなかったけれども、自分を音楽に導いてくれた父親への感謝の念を片時も忘れていないからなのでしょう。
音楽を奏でる側も聞く側も、その瞬間だけは、人種や社会的地位など関係なく、誰からも束縛を受けずに、自由を感得できる。音楽は為政者や一部の権力者の所有物ではなく、紛うことなき全員の共有物、コモンズであり、であるがゆえに、キューバ人が奏でるその音色は底抜けに明るく情熱的で楽天的なものとなったのでしょう。きっと未来への希望をその音に託していたのでしょう。
僕にはそう映りました。
ニューオリンズの黒人奴隷のコミュニティからジャズが生まれたように。
NYのサウスブロンクスのゲットーからヒップホップが生まれたように。
壁が崩壊し廃墟と化したベルリンの地下からテクノが生まれたように。
くそったれの現実が目の前に立ちはだかろうとも、人々は音楽があればそこで自由を謳歌し、悠々と自己表現し、他者を受け入れ、未来を切り開いていけることを、キューバの事例以外にも歴史が至るところで証明しています。
確かに「命は奪えても、音楽は奪えない」のです。
胸が踊るキューバ音楽の魅力はもとより、その音楽の背後に存在している各自の物語まで丁寧に切り取った今作の方が前作よりも奥深く見応えがあるとも言えます。
相当におすすめです。
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